明けましておめでとうございます
新年明けましておめでとうございます。
WEBディレクターの金川です。
今日は2017年1月1日。
気持ちも新たにブログを再開するには最高のシチュエーションですね(笑)
数日ブログをお休みさせてもらっていましたが、今日からまたぼちぼちそこそこ?頑張って、ブログを連載させていく予定です。
さて今日のテーマは、この年末年始で普段ではなかなかしないことを体験して、その中で気付いたことや大切なことを整理してみたいと思います。
我が家には年末年始のルーティンがある
ここ数年、というか10年ほどですね、我が家では年末の迎春準備をするにあたって、決まったルーティンがあるんです。
ざっくり書くと以下の通りです。
- 12/30AM 良くしてもらってる焼鳥屋さんの餅つき大会
- 12/30PM 尼崎の商店街におせち料理の材料を買い出し
- 12/30夜 兄姉ボクの家族一同で忘年会
- 12/31AM 実家の大掃除
- 12/31PM みんなでおせち料理作り
- 12/31夜 みんなで年越しそば食べる
- 1/1AM みんなで新年のお祝いとおせち
- 1/1PM みんなで実家近くの氏神様に初詣
年によって多少の変動はありますが、大筋こんな流れが毎年の恒例行事なんです。
まあ子供たちが大きくなって大学生や高校生になるにしたがって、アルバイトだったり、友人とカウントダウンライブに行ったりなどなどで、全員揃うことは少なくなってきましたが、他に用事がない限りは原則全員参加なんです。
といっても決して強制しているわけではないんですが、なんとなくそんなモノという風にとってくれてるようですね。
わが子あるいは甥や姪ながらなかなかみんな偉いなあと思います。
以前は日本の慣習や伝統を軽視していた
こんな我が家の年末の恒例行事ですが、こんな風に安定して行うようになったのは、思えば子供たちが生まれて、徐々に成長していくようになってからだと思います。
以前のボクは今にしてみれば少々恥ずかしいんですが、決まりであるとか、しきたりとか、慣習とかを否定はしないまでも軽視するようなところがあったんです。
なんで毎年大変な労力とコストをかけておせち料理をつくらなくちゃいけないのか?とか、別に元旦に一族で集まらなくても旅行やスキーに行ったりしてもいいじゃないとかね。
上記以外にもいろんなことを言ったり行動したりして、姉や兄、そして当時は存命していた両親を困惑させたりしたものです。
まあ今にしてみると黒歴史と言っていいでしょう(苦笑)
そんなボクも今では歳を取るとともに経験値が得たせいか、日本ならではの慣習や伝統などなどの大切さをほんのちょっとは理解するようになりまして現在にいたります。
もし過去の黒歴史のときのように、年末の迎春準備や年始のあれこれを否定していたら、ボクの子供たちは、それらを体験することなく、その意味を知ることなく、大きくなっていっていたかもしれません。
年末年始の日本の慣習について教わる
ボクのライフワークの一部となるつつあるものの一つに「マックスブログ塾」という勉強会があるんですが、その中で知り合い、そして懇意にさせてもらってる方の一人に、いけばな光風流・内藤正風さんという華道の家元がおられます。
この一年間前後の期間に内藤家元から年末年始の日本の慣習について、さまざまなことを教わりました。
- しめ縄は悪い神を我が家に入れないための結界である。
- 門松は良い神が我が家に来てもらうためのサインである。
- おせちで使う箸は両端が細くなっている柳箸で、神様とともに料理をいただく意味がある。
他にもいろいろあるんですが、はっきり記憶に残るのはこのあたりかな。
こんなあれこれを聞いて、ボクは年末の迎春準備に対する意識が大きく変わりました。
そしてそれを実行するボクを見て、意味を聞いて来たり、自分でもあれこれ実行したりしてくれます。
決してああしろ、こうしろとは言ってはいないんですけどね。
親の務めや子供たちに伝えることの大切さ
こんなあれこれを通してボクは思うんです。
ボクが子供たちにあれこれ強制することは無いけれど、まずは日本ならではの慣習や行事をボクが実行して、そして簡単ではあるけれど意味をざっくり説明することで、ほんの少しかもしれないけれど、子供たちの記憶や意識の片隅に刻まれると思うんです。
そしてその上で子供たちが大人になった時にどうするかは、それは自分で決めれば良い。
でも知らないことを決めることはできないので、やって見せたり説明したりすることには大きな意味がありますよね。
小さなことだけど、年末年始の行事やルーティンを通して、親の務めや子供たちに伝えることの大切さに気付いたことを書いてみました。
つくづく日本の文化って深いなあと思いますね。
本日は以上です。
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