45年前に父と兄と阪神パークに行って帰りに上鰻重を食べた想像を超えたハレの日の思い出

大切なこと

父と兄と三人で行った阪神パーク

こんにちは。WEBマーケッターの金川です。
今日はWEBやマーケティングからは完全に離れて、昔の思い出にどっぷりつかってみたいと思います。
そのきっかけは、昔の写真のアルバムをなんとは無しに見ていて、昔のある日の思い出が鮮明に蘇ってきたから。
ボクが保育園の年長さんのころなので、45年以上も前のことになります。
45年ってスゴイなあ。我ながらよく覚えているものだと驚きます。
ある日のこと、父がボクと兄を「阪神パーク」という阪神沿線の甲子園球場近くにあった遊園地に連れて行ってくれることになりました。
当時のボクにとって阪神パークに行くということは、今で言うUSJやディズニーランドに行くことを超える大イベントだったと思います。

保護を断った父

なにしろ時代は映画の「ALWAYS三丁目の夕日」のころの数年後くらい。
当時はみんなそれなりに貧乏だったんじゃないかな?特にボクのまわりではそう。
マイカー持ってる人は数えるほどしかいなかったし、みんな狭いアパートに住んでいたイメージですね。
我が家は子供四人の六人家族だったので、他所様よりもさらにお金が無かったのでは無いかな?
ボクは遅れてやってきた末っ子なので、めっちゃ貧乏した!という思い出は無いんですが、姉兄は給食費の支払いにも困ったような話を後で聞いたことおがあります。
なかなかの貧乏具合だと思いますね。
これも後で聞いた話ですが、そんな暮らしぶりを心配した姉の担任の先生が、生活保護の受給を検討してはどうですかと提案してくれたことがあったそう。
担任の先生からすれば心配した上での良かれと思っての判断だったと思いますよ。
でもその提案に対して父は、

自分は五体満足でちゃんと働ける身なので、ほんとうにどうにもならない状態になった時に初めて保護を受けたいと思います。
それまではなんとか頑張って働いて家族を養います。
まずは本当に保護が必要な人を保護してあげてください。

と断ったと聞きます。
困窮しているのに保護を断ることの是非は意見と見解の別れるところだとは思いますが、父の考え方は共感できるし、カッコ良いなとさえ思えます。
まあその分、姉兄は苦労したとは思いますが。
ちょっと年代が違うかもしれませんが、父と姉二人の写真です。

モノクロ写真で時代を感じさせます。
つくづく思いますが今とはほんとに時代が違うことを実感せずにはおられません。

お財布的に決して楽ではなかったはず

そんな背景の中、といってもほんの少しだけ楽になってきてはいたのだろうとは思いますが、決して経済的に豊かではない中で、ボクらを連れて阪神パークに行くのは、お財布的に決して楽ではなかったでしょう。
父が何を思っていたのかは分からないですが、同じ子を持つ身となった今では「たまには子供を楽しませてあげたいなあ」と思ってくれてたんだろうなあと推測するわけです。
その時に父が撮ってくれた写真の1枚がこれ。

1969年にアポロ11号が月に着陸した際の着陸船のレプリカですね。
当時のボクはこれをレプリカでは無くて、きっと本物だと思っていたと思いますよ。
せっかくなんだからもっと楽しそうに写ればいいのにね(笑)まあそんなことを保育園児に求めるのは無理がありますよね。

生まれて初めての鰻屋さんで上鰻重は想像を超えた体験

さて、阪神パークでしっかりと楽しんだ後、引き続き父に連れられて阪神電車に乗って尼崎へ移動です。
阪神尼崎駅前にある今でもそれなりに賑わっている尼崎中央商店街へ向かいます。
目的地はなんと鰻屋さんです。
当時でも鰻なんてカンタンに食べられるものじゃなかったはずです。
ボクみたいな子供ならなおさら縁遠い食べ物ですよね。
事実、ボクの記憶の中では鰻を食べるのはこの時が生まれて初めてだったと思いますよ。たぶん。
そして鰻屋さんで父が注文したのは、「松」なのか「上」なのか、とにかく上等なランクの鰻重だったんです。
鰻屋さんに行くことさえ初めてだったのに、注文するのが上鰻重だなんて、完全にボクの理解を超えていたことを思い出します。

※写真はイメージです。
なにしろ45年も前のことなので、上鰻重の味がどうだったなんて覚えているはずもありませんが、なんか目茶苦茶美味しくって、目茶苦茶嬉しかった事だけはなんとなく覚えているんです。
ついでに言うと鰻屋さんの店構えや店先のショーケースなんかも覚えているんですよ。不思議ですね。

父のことを「尊敬」ではなく「カッコいい」と思う

経済的に楽ではなかった中で、ボクと兄を連れて阪神パークに行って、その後上鰻重をみんなで食べるなんて、父は何を考えていたのかなあなんてことを思わずにはいられません。
計画を立てていたのかもしれないし、急に思い立ったのかもしれない。
でもはっきりしているのは、ボクと兄を喜ばせてやろう、思い出に残る楽しい一日を過ごさせてやろうと、思ったくれたことは間違いないですね。
いつもいつもこんなことは出来ないけれど、この日だけは「ハレ」の日にしようと思ってくれたんだと思います。

(父とボク)
今のボクはもう、当時の父の年齢を超えていますし、父と同じに四人の子供がいる六人家族です。
でもなんか父には勝てないなあというのが正直なところです。
尊敬とかいう言葉とはちょっと違うと思うんです。親に対して尊敬というのはちょっと違うような。
もちろん好きですけどね。
なので尊敬よりも「カッコいい」という言葉がボクにとってはしっくりきますね。
普段はとても優しくて穏やかな父でした。でも年に何度かしかないけれど、怒る時にはほんとに怖かった。
父が怒るとみんな震え上がっていましたからね。でもボクらに原因があることがわかっているので仕方ないですよね。
父が亡くなってかれこれ18年ほどになります。
でも毎朝神棚にお参りすることあって、父のことを思い出さない日は一日もありません。
その意味で父はボクの中で生きていると言って良いと思います。
それにどこかで必ずボクらのことを見てくれていると思いますし。
生半可なことをしてると「おまえはアホか」と怒られそうなので、怒られないようしっかり生きていかねばなるまいと思う次第です。
ではまた。